皆さん夏目漱石(本名:夏目金之助)がイギリスロンドンに2年間留学していたのをご存じですか?
よっぽど詳しい方でない限り知らないと思います。
僕もロンドンは2年半の経験がありますが知りませんでした。
今回は夏目漱石が留学中に下宿していた家をすべて巡ってきましたのでご紹介します。
今回の記事のハイライト
- 最後に住んだ5軒目の家にブループラークがある
- 5軒目の傍にあった夏目漱石博物館はもうない
- 5軒中4軒がノーザンライン沿いなので巡りやすい
- すべて巡ると4時間30分、電車賃£9(上限額)
- 時間がない方は5軒目だけで十分
夏目漱石がどんな所に住んでいたのか知りたい方は是非最後まで読んで頂けたらと思います。
夏目漱石はロンドンに留学していた
夏目漱石は第五高等学校在任中の1900年(明治33年)に文部省から2年間の英国留学の命令を受けました。
その時の助成金は年額1,800円。
第五高等学校(現在の熊本大学)では教授職に就いておりその時の年収が1,200円でした。
夏目漱石は当時結婚しており子供もいましたが単身で渡英しました。
1900年9月8日にイギリスロンドンに向けて横浜港を出港し、10月28日にイギリスロンドンに到着。
留学先はロンドン大学に所属する機関の1つである University College Londn: UCL でした。
UCLでは大学の講義に加えシェイクスピア学者であるクレイグ先生の個人授業を受けていました。
ただ数カ月も経たないうちに聴講をやめたそうです。
そして「根本的に文学とは如何なるものぞと云へる問題を解釈せんと決心」して下宿先に籠り始めたそうです。
夏目漱石は籠りすぎてノイローゼになったのか、ノイローゼになって籠ったのかは定かではありませんが精神的に病んだそうです。
発狂したり食欲不振になり家主も心配するくらい苦しい留学生活だったそうです。
後の書籍でも大変不愉快な2年間であったと述べるくらい苦痛だったようです。
それもそのはずで、日本で英語を教えていたにも拘わらず自分の英語が英国人に上手く伝わらなかったからです。
また文化や思想の違いについても述べています。
そんな苦しい2年間のイギリスロンドン生活中に、夏目漱石は5回下宿先を変えていました。
今回は夏目漱石がイギリスロンドンで過ごした5つの下宿先を訪れてきました。
今回の記事で参考にさせて頂いたwebサイト
下宿先5カ所を写真いっぱいでご紹介
厳密に言うと4カ所かもしれません。
なぜなら最初の1軒目は2週間だけの短期滞在だったからです。
しかし今回はそこも含めてご紹介したいと思います。
Googleマップも付いているのでそちらをクリックすると詳細な行き方が分かりますのでお使いください。
1軒目:76 Gower St.
最寄り駅
Northern: Goodge Street駅
Metropolitan, Circle, Hammersmith: Euston Square駅
この写真の青いドアがある建物の真ん中の76が最初の下宿先です。
何階に住んでいたかは定かではありませんが最初の一時滞在に使用した下宿先はUCLの直ぐ近くでした。
ここは数百メートル南に歩くと大英博物館があるとても立地の良いところです。
家の前の通りはこんな感じです。
この辺はUCLがあるので学生が多く日本のビジネスホテルのような狭い部屋の建物が沢山あります。
夏目漱石は妻にあてた手紙の中で以下の様に報告しています。
「ここは宿屋よりはずっと安いが、ここでの生活を続けると留学費を全額当てても足りないので、早めに他所へ移るつもりだ」
このあたりはZone1なので当たり前のように物価が高いのですが100年以上も前から高かったんですね。
2週間で見切りをつけたという事は結構な家賃だったんでしょうね。
妻への手紙で日本の1円はロンドンでは10円に匹敵するといっていたので今以上に物価が高かったのが分かります。
その後夏目漱石はロンドンのど真ん中のZone1からZone2のやや北西に移動します。
2軒目:85 Priory Rd.
最寄り駅
Jubilee: West Hampstead駅(徒歩6分)
Jubilee, Metropolitan: Finchley Road駅(徒歩10分)
Overground: West Hampstead駅(徒歩8分)
Overground: Finchley Road駅(徒歩10分)
West Hampstead駅からとFinchley Road駅からはそんなに離れていないのでどちらからでも行けます。
道も単純なので近い方から行くと良いです。
2軒目の家の前の通りはこんな感じです。
ビクトリアン様式の家がずらっと並んだ閑静な住宅街です。
100年以上前からこのように出来上がった街並みだったかは定かではありません。
今でもこの辺は電車の便が悪いので当時も少し不便だったのではと思います。
夏目漱石は家主の家族の雰囲気に不快感を持ち、下宿料も割高であったため、ここには1ヶ月ほどしか滞在しませんでした。
家の近くにポストがあったのですが、ここから日本にいる奥さんに手紙を送っていたのでしょうかね。
夏目漱石は新聞広告で新しい下宿先を探しロンドン南東部に移ります。
3軒目:6 Flodden Rd.
最寄り駅
Northern: Oval駅(徒歩15分)
少し距離があるのでバスを使うと良いと思います。
バスを使う場合
バス停は Oval駅を出て左斜め前方に向かって横断歩道を渡ると見えてきます。
No. 36, 185, 436 のどれに乗っても大丈夫です。
5つ目の County Grove で下車してそこから2-3分歩いたら着きます。
バスで移動すると5,6分で着きます。
徒歩で行く場合
駅の改札を出たら右側に進みます。
大きな交差点があるのでずっと直進します。
ずーっと真っすぐひたすら歩くと Flodden Road と書かれたT字路があるのでそこを右折します。
あとは真っすぐ進むと右側に家が見えてきます。
この地域は夏目漱石が妻への手紙で「辺鄙なところである」と書いているように今でも辺鄙です。
途中にお洒落なパブがある訳でもなく、途中の家から大麻の臭いがするような所でした。
バスでサクッと移動した方が良いかもしれません。
ちなみに 6 Flodden Rd. の家の前はこんな感じです。
確かに今でも辺鄙なところだと思いました。
まもなく宿主の引越しにより更にロンドン南部に移ることになります。
4軒目:5 Stella Rd.
最寄り駅
Northern: Tooting Broadway駅(徒歩10分)
バスでも行けますがこの近辺は今は賑やかな街なので歩くと良いと思います。
Tooting Broadway駅を出ると銅像があるのでそれを右に進みます。
大通りを真っすぐ進むと着くのですが途中の町並みはこんな感じです。
夏目漱石もロンドンに住んで少しずつ街の雰囲気が分かってきたのでしょうかね。
おそらく違うと思いますけど(笑)。
昔はロンドン南部と言ったらスラム街があったりして治安が悪いところでした。
ただ、今現在は治安も良くなり賑やかな街並みなので散歩がてら歩いて行くと良いと思います。
駅から少し離れるとこんな感じで落ち着いた雰囲気になります。
5 Stella Rd. の家に近づくと大きな協会もあります。
Sainsbury’s Local が見えたら右折します。
最初のT字路を左折したら右斜め目に見えてきます。
夏目漱石は 5 Stella Rd. の家が気に入らず別の下宿に移ることを考えていたそうです。
しかし、ここに滞在中に後の味の素発明者である池田菊苗と同宿になり友情を深めたそうです。
夏目漱石は渡英してきた1900年10月から1901年7月の約9か月間で4回も引っ越しを行いました。
記事を色々読むと何百冊の書籍を購入していたようなので引っ越しもさぞかし大変だったと想像できます。
今みたいに電子化して持ち歩けませんし、キャリーケースもありませんし、交通も発展していませんでしたからね。
そして、駅4つ分だけ北に移動した最後の下宿先に移動します。
5軒目:81 The Chase
最寄り駅
Northern: Clapham Common駅(徒歩12分)
クラパムコモンは自然豊かで駅近辺はお洒落な街並みなので歩いて向かうことをおススメします。
まず地下鉄のクラパムコモンの駅はロンドンの地下鉄では珍しい両サイドのプラットホームでお洒落なんですよね。
ここに住んでいた先輩の話しでは通勤時間帯はカオスでよく人が線路に落ちないよなぁと感心していました。
地下鉄の改札をでたらすべて右に進んで地上に出ます。
地上に出たら今度は左の方に進みます。
この道を真っすぐ進んでも良いですし、左斜め前に見える公園を突っ切っても行けます。
公園内のこの銅像の右側の道を真っすぐ進みます。
雨が降ると足元が悪い場所とかもあるので、雨上がりの日はこの道はあまりおススメはしません。
晴れた日はリスなどもたくさんいるので違った楽しみもあります。
暫く直進すると The Chase のT字路に付きますのでそこを右折します。
しばらく真っすぐ歩いたら着きますが The Chase の町並みはこんな感じです。
両サイドにビクトリアン様式の家々が並び閑静な住宅街です。
100年以上前にここまで家が揃っていたかは定かではありませんが今は大変住みやすそうな所です。
暫く真っすぐ歩くと左側に見えてきます。
大変残念なことにお隣の家がリフォーム中でこんな写真になってしまいました。
なんとかお隣が入らないように撮った写真がこちらです。
この家は下に半地下の部屋があり夏目漱石が住んでいた部屋はブループラークが付いている3階部分です。
ブループラークにしっかり1901年-1902年の間ここに住んでいましたと書いてありますね。
以前はこの家の向かいに「夏目漱石ミュージアム」があったそうですが閉鎖してしまいました。
一度再度オープンしたそうですがコロナの影響で再度閉鎖してしまいました。
実際に100年以上前のこの近辺での生活を見てみたかったです。
81 The Chase の家のすぐ近くにポストがあったのですがここから奥さんに手紙を送っていたのでしょうかね。
夏目漱石は最後の家に落ち着くころには700冊近い書籍を所持していたみたいです。
引っ越しの時に以前の家から送られてくる荷物を3階まで運ぶのに相当苦労したようです。
家主はリールさんという老嬢で妹も一緒に住んでいて、両人ともに上品なフランス語を操る教養人だったようです。
同宿者には、他に80代の退役陸軍大佐などがいたそうです。
4軒目の下宿先で出会った池田菊苗とは親交を深めていたようです。
しかしこの家では読書と思索に没頭するため引きこもっていました。
今となってはクラパムコモンはお洒落な街並みになりました。
当時もこのような環境だったらノイローゼにならずに済んだのかなと想像してしまいました。
現在の 5 Stella Rd. の家の周辺
夏目漱石の大ファンであれば5カ所すべて巡ると夏目漱石の留学生活が想像できると思います。
しかし全部回ると4-5時間くらいかかるので、5軒目の 5 Stella Rd. の家だけでも良いかなと思います。
この近辺ではお洒落で人気なカフェやパブがあるのでそういった面でも楽しめます。
僕は The Rose & Crown というパブでランチをしました。
店内は明るくソファ席などもありお子様連れでも大丈夫です。
他にも人気のパブとしては No32 The Old Town があります。
ここはいつも夜は人が溢れかえっているくらい人気ですので、ランチが良いと思います。
少し駅に近づくといつもテラス席が満席のレストラン&カフェの Minnow があります。
この通りには他にもカフェやレストランが多数あります。
またアイスクリーム屋さん等もあります。
テイクアウトして目の前の公園でリスと戯れながらリラックスするのもよいと思います。
さいごに
今回は夏目漱石がロンドン留学中に滞在した5つの下宿先をすべて巡ってきました。
当時は1カ月半かけて船で渡英しており簡単に帰国できない苦し等がとてもよく伝わってきました。
今以上に物価の高い時代に2年間も留学していたとは尊敬しかありません。
5軒目の家に取り付けられているブループラークを見て改めて歴史上の偉人であったことを実感しました。
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